時間の流れが速すぎる

CDTVで少し昔の曲をピックアップしていた。

それは2010年の曲だった。自分からしてみれば、ほんの少し前の曲という感覚しかないのだが、「2010」という数字を突き付けられたとき、7年前という事実を知らされたとき、自分の感覚との乖離に驚かされる。いやいやまてまてと。こんな感覚で過ごしていたらあっという間におっさんになってしまうじゃないかと。

フジファブリックが3人になってから8年、チャットモンチーが3人じゃなくなってから6年。まじですか。

気付けばこのブログも始めてから半年経っている。当時は半年もあればもっといろんなこと出来ると思っていたのだが。やばいなー。

歌日記16 まわる、めぐる

16。

soundcloud.com

 

夜は責めるよ 何もできやしないね
朝は迫るよ お願いしていないけど
 
メリーゴーラウンドのようだ
同じ景色続くよ
歯車だけが徐々に錆び付いてきた
 
動かなくなるまであとどれくらいかな
油をさせば長持ちするかな
その時まで時間に跨って何がしたいのさ
 
柵の向こうで誰が見ている?
カメラ向けてフラッシュ焚いて何が写った?
僕ではない
また
僕ではない
まだ
 
 
制作時間:1時間半
 
最近社畜ってて全然更新できなかった。頻度減っても少しは作っていこう。

歌日記15 分からないまま

目標の半分。15曲目。

soundcloud.com

いくら言葉にしようとも できないこともたくさんあって
言いたいことが何なのか 分からなくなっていく
 
それでもギターは鳴り続けていて
喉も震えてづけていて
 
よく分からんまま 歌を作っていく
 
誰に言いたいのかもわからない
何を伝えたいのかもわからない
ぐちゃぐちゃになった頭の中から
生まれたよ こんな歌
 
制作時間:4時間
7カポ。スリーフィンガーのアルペジオをやってみたくて作った。製作時間の大半はスリーフィンガーの練習時間。慣れておらず指が攣りそうになる。
 

風呂場でシューゲ

防水スピーカーを風呂場に持ち込み、湯船に浸かりながら音楽を聴くことがたまにある。風呂の中では何もすることが無いし、音楽を聴いていれば余計なことを考えなくて済むし、あったかいし、素敵な時間である。

今日はSoundCloudシューゲイザーの曲をまとめたプレイリストがあったのでそれを聴きながらぼんやりしていた。ただでさえリバーブ多めなシューゲイザーの曲をこれまた音の響く風呂場で聴くもんだから何言ってるか分からないくらいリバーブマシマシだった。まあそれは言い過ぎだが。

特に知らないバンドだったが、聴いている内に気付けばその曲が持っている熱を感じ取ってきて、この人たちはどんな思いを込めてこの曲を作ったのだろうか、とか、こんな田舎の片隅で、風呂場で名も知らない状態で曲を聴いている、そんな聴かれ方をこの人たちは想定していただろうか、とか、いろんな思いを巡らせてしまった。

形容し難いが、いろんな思いを込めて作られた曲が、この風呂場の中で誰にも知られずひっそりと聴かれている。そんな状況がひどく不思議に思えて何とも言えない感覚に陥った。「世界は廻っているんだな」とか良く分からん感想を抱いた。

僕の曲もいろんな人に聴いてもらいたいなと思った。

 

マインドフルネス②

前回の記事で、「マインドフルネスを実践すると、いかに自分の思考がとっちらかっているかが分かった」的なことを書いたが、

corocorokorogaru.hatenablog.com

もう一つ思ったことがあったので追記する。

それは自分の感覚は想像以上にたくさんあるということである。

例えば呼吸に意識を向けてみると、空気が通るのを鼻孔や唇あたりに感じる。空気の通る音を感じる。お腹が膨らむのが分かる。膨らんだお腹によって肌と服が擦れるのを感じる。肌が擦れて痒くなったりもする。心臓の鼓動が良く分かる。そのまま意識を全身に巡らせると、心臓だけでなく、体のあちこちが脈打っていて、全身がドラムになったようにも感じる。

普段生活をしている中でこんな感覚には気づいていなかった。こんなにもいろんな感覚があるんだなあ、なんだか「生きてる」って感じだなあとか、そんな感想を抱いた。本当にストレス軽減になっているのかは分からんが、やってみたら結構面白いと思う。

目の見えない人は、視覚以外の感覚が目の見える人よりも鋭くなっている、といった話を聞くが、確かに無視しているだけで刺激を受ける感覚はこんなにもたくさんあるのだから、それらが視覚の代わりとなっていけるのだろうなあと思った。

 

ちなみに、「全身がドラムのようだ」とかいう比喩が思い浮かんだということは、そこに思考が発生している証拠で、本当はそんな思考が入る余地がないくらい感覚のみに意識を向けていくとより深い瞑想状態になるのだそう。瞑想に瞑想を重ねて悟りの境地に達した人の前にはどんな世界が広がっていたのだろうか。

マインドフルネス

呼吸などに意識を向け、今、この瞬間に体に起きていることに気づくことをマインドフルネスと言う。瞑想のようなものである。意識を向ける対象は呼吸でなくても良い。歩いていれば、足の筋肉の動きに注意したり、食事中であれば、食べ物の味や触感、喉の動きに注意したり、とにかく今起きていることを事細かに観察し、雑念が無い状態になれば良い。

マインドフルネスの効果の一つにストレス低減が謳われているので僕は実施しているのだが、やってみるといかに自分が雑念に振り回されているのかが良く分かる。呼吸に意識を向けたとしても、ものの10秒で呼吸とは関係ないことが頭に浮かんで来る。そしてその頭に浮かんだものから別の考えがまた浮かんで来て、連想に連想を重ね、「あ、呼吸に集中しなきゃ」と思い直す時には何分も経ってから、といったことが良くある。マインドフルネスのコツとして、そういった雑念が浮かんだ時には、浮かんだこと自体に気づくことが重要、だとか言われているが、それもなかなか難しい。普段何をするにしても行動が遅い僕でも、頭の中はそれと反比例するように目まぐるしくあっちこっちに飛び回っている。

しかもやっかいなのがその雑念がネガティブなことが多いということである。「あれもしなきゃこれもしなきゃ」とか「明日も仕事で嫌だな」とかそんなことがぽつぽつと浮かんでは消えを繰り返す。楽しいことが頭に浮かんでいた時でも、「あ、今はネガティブなことを考えていなかったぞ」と気付いた瞬間、それを起点にネガティブなことが連想されてしまう。人はネガティブな思考するだけでも疲労する、といった事をどこかで読んだ気がするが、僕が大して動いてもいないのにすぐ疲れるのはひねくれた思考回路のせいなのかもしれない。

ただ、実施した後は何となく頭がスッキリした様な気がするかもしれない的な感じなので、もうちょっと続けてみようと思う。