応援したい時

誰かを応援したい時、むやみに「頑張れ」と言ったところで、当事者は「もう頑張っているし、余計なお世話だ」と思っていそうで強く言えないけれど、何も言わないと「どうでも良いのかよ」とも思われそうで難しい。

頑張れって言葉は自分の応援したい気持ちを相手に押し付けるエゴなんじゃないかと考えたり、じゃあ相手のことを思うって何なんだって考えたり、同じことを中学時代からずっと考えている自分は全く成長していないなと考えたり、頭の中を右往左往している内に、結局答えは出ずに眠りにつく。こんな余計な事いつまで考え続けるんだろうと心配になる。中二病って全く一過性のものじゃない。

 

ただ、どうであれ、良い結果であって欲しいと願うばかりです。

ミニマリスト

引越しの片付けが難航しているが、つくづく物が多いなと思った。ダンボールに運ぶものをまとめる時、食器類や衣類など、ジャンルに分けていくが、どこのジャンルにも属さない奴がいて、そいつらがどんどん溜まっていく。ただ、よくよく考えてみたらそいつらはこれまでに使った試しがなかったものばかりだった。だから思い切っているいらないの判断に迷った奴はなるべく捨てるようにしてみたら、ゴミ袋がどんどん増えていった。捨てるものはあらかた捨てたかと思っていたが、まだまだたくさんあった。これからは引越しごも無駄な物は増やさないようにしようと思った。でも本屋にいくとモノ・マガジンとか立ち読みしちゃう。たまに買っちゃう。

目疲れの悩み

昔からテレビゲームばかりしていても、視力が全く落ちなかったことから、自分は目が良いのだと思っていたが、パソコンを頻繁に使用するようになってから視力がどんどん落ちていった。テレビに比べパソコンは画面を見つめる距離がぐっと近くから、目の疲れもかなり大きい。最近も仕事でも趣味でもパソコンばかり使うから目が疲れてしょうがない。ブルーライトカット眼鏡を使ってみたりもしているけれど、劇的な効果はなく、やはり目は疲れる。何年も前から考えているのだが、自分の脳にケーブルを挿して、パソコンの画面を目を使わなくても見られるようになる時代が早く来てくれないだろうか。そんな時代がいつか来たら、自分の視界一面にグロテスクな映像を送り込むウイルスが流行りそうだ。

城の崩壊

転職をすることになった。それに伴い転居をすることになった。

今住んでいる借家には「作曲部屋」と自分で呼んでいた、DTMに関する機材、楽器を集めた四畳半の部屋があった。自分の理想と財布とのせめぎ合いの中で、防音加工をDIYでやったり機材を増やしたりして作られた言わば秘密基地であり城だった。実際の作曲の成果を振り返ってみれば城を作り上げる労力に全く見合ってはいなかったのだが、少しずつ充実していく部屋を見るのも楽しかった。

 

そんな作曲部屋を今回の引越しの準備のために取り壊している。この部屋の状態がベストだとは思っていなかったので寂しくはないのだが、あれだけ苦労して作ってきたものが無残に崩れていくことに諸行無常を感じざるを得ない。しかし部屋の中に木の骨組みを作ってそこに吸音材としてグラスウールを取り付けるようなこともしているために、虚しさ以上に片付けの面倒臭さに城の主は辟易としている。

 

新居では恐らく凝った部屋はもう作らないだろう。どれだけ色々やっても定在波は無くならないし、「作曲部屋」と言いながらそこでネット動画を見る時間の方が圧倒的に長かったし。部屋の隅っこに小ぢんまりとしたスペースを設けるくらいがちょうどいいのかもしれない。

漠然とした不安

未来のことを考えると、漠然とした不安が体を支配し、心が落ち着かなくなる。瞑想だとかやってみたところで、どうしても思考は頭の中をぐるぐる回る。これまでの人生で培ってきてしまったネガティブ思考回路は脳に焼き付いており、なかなか治る気配が見られない。

重い腰を上げようとする

しばらく忙しくしていてブログを書いていなかった。

ただ、忙しく亡くなってからもだらだらしてブログを書いていなかった。

さあそろそろ気合い入れよう。

今日は何もしないけれど。